このブログにはコメント欄がありません。私は、コメントに対応する気力が今はありません。
気力・・・コメントを送る側は、「アドバイスする」という善意の気持ちで書いておられると思いますが、書き口いかんによっては、たいへん不快な気持ちになります。
というか、ブログを書いている人を「指導する」つもりでコメントを書く人が良くいるので、それが嫌でコメント欄を設けていないのです。
そのコメント欄を設けたら、何か利益でもあれば設けようという気持ちになりますけれど、そういう気にはまあなれません。

この前の早番の前夜、ひさしぶりに昔から書いている古代史のブログを見たら、珍しくコメントが来ていました。
何々?
どこそこの神社の宮司さんにお会いして古文書を見せてもらいなさい。そうしたら、○○がどうなっているのか、よくわかるでしょう。(コメントの概略です。そのものでありません。)
はあ?ですます調ですが、命令。知り合いの偉い先生だったら、ふんふんと話を聞くかもしれませんが、見ず知らずの匿名の人に命令されてもなあ。それに、その人にとっては、たまたま見たぺージだけ読んで気になっただけで、他の記事は読んでないと見えます。(たいがいそうですが、別のページも読んでからコメント書けと思いますが・・・)
お金も無くなって、再就職して、古代史ブログどころではないという最新記事も、読んではいないと思います。
早番の前夜、睡眠導入剤を飲みますが、コメントを見るだけでイラッとしてしまいました。いかんいかん、興奮すると薬の力が無くなってしまいます。
昔、自分の説と違っているのが気に入らなくて、毎日特定の記事にコメントを書く人がいました。
自分の説が「絶対真実」なんだろうなあ。
もうコメントに相手するのも疲れたので、めんどくさなって記事ごと削除してしまいました。
コメント書いた人は今度の人とは違うと思われますが、内容が似通っています。
コメントを受け取る人がどういう気持ちなのか考えてコメント書く人はほとんどいないように思います。
さてコメントに対して今度はどうするか?
コメントには必ず返信しなくてもいいけれど、反論したところで相手が怒るだけだし、コメントをくれた人に、コメントをくれたことへの感謝を伝えて終わりにしました。
指導的なコメントには、どんな良い内容のことが書かれようとも、私は交流したいとは思いません。
職場で、上司や同僚に指導されるのは仕方ないけれど、死ぬまでプライベートなことまで、名前もしらない責任も取らない人に指導されたくありません。
サラ・バレリス 『King of Anything』
SNSでイラっとしたことがあるとこの歌を聴きたくなります。あなた何様?というような歌です。
相手は、「正義の善意」だから始末に悪いです。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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