とりとめのない記事を書いて申し訳ありません。昨日、病院のドクターとリハビリの先生の話を書いた後、昔の患者会で「ドクターの言うことさえやっときゃいいのよ!」と、説教された古い話が思い出され、血圧が上昇。大リーグ ドジャースVSカブス戦を観ている間は何も考えず良かったのです。

ドジャースの野茂投手
夕べドジャース戦を見ながら、野茂投手がアメリカに渡った頃を思い出して感慨深かったです。当初、マスコミは、野茂投手のことを「日本球界を捨てて恩知らず」「大リーグでは通用しない」と、総たたきの状態でした。
近鉄時代の野茂投手は、あんまり知りませんでしたが、アメリカに渡った頃、たいへん気の毒になり、応援したくなりました。衛星放送が当時はケーブルテレビで観れたので、ケーブルテレビで野茂投手の試合を観ていました。
それほど、野球が好きでたまらないという人間ではないですが、中村監督時代の阪神(やわっちくて、高校野球みたいでした。)を応援していました。
よく負けていましたが、自分の人生と重なるような気がして、応援していました。
怒り損
怒り損は、私がホームヘルパーで行く利用者に使った言葉です。その利用者さんは、よく人に怒っておられて、不満な気持ちはわかるけれど、怒って、怒られた相手の人が、変わって良くなればいいですが、そうならないのが多いので、怒るだけ損ではないかという話です。
怒っている分ストレスが発散するどころか、よけい、腹が立ってくるので、損ではないかということです。
同じ人間だから話せば通じるとは、違うのであって、怒っても全くかいのない人間がこの世にはたくさんいます。
人には、そう言うのですが、自分もそれ繰り返しています。
ヘルパー会議でも、私はよく孤立していました。どう考えても、医者の誤診だろうと思っても、介護の世界では、医者─ケアマネージメント従事者─サービス提供責任者─ホームヘルパーの縦社会ですので、「医者が言うことは絶対で、お前の考えはマチガイ」にしかならないのです。
昔の病院の話を思い出すと、次から次へと頭の中に悔しいことが、でてきます。
しかし、医療器営業マン時代は、「医者はこんなもの」と、思い込んでいたから、ほとんどストレスにはなりませんでした。そこらへんが、「怒ってみてもしゃあない」の極意だったものが、近年そうでなくなっているんだろうなあ。今でも医者というよりストレスの対象は看護師さんですので、厳密に言うと医者の取り巻きの人に腹を立てているのでしょう。
考えても、腹立てても、損しかないので、もう考えないことにします。
最後までお読みくださりありがとうございました。
⇩ 応援のクリックをぜひお願いします。

にほんブログ村