30代は、約10年間、医療器会社に営業で勤めていました。あの会社に定年までいたら、老齢年金だけで、生活ができたに違いないなどと、思うこともあります。しかし、自分の選んだ人生の選択だから、仕方ない。

どこかで会った人だか思い出せない
スポーツ施設でルームランナーをしている人がいます。
その顔には見覚えがありますが、どこで会ったのか、よくわからない。医療器会社に勤めていたころの、お役所の人か?取引先の卸屋さんか?それとも建設会社の人か?それとも、福祉関係の社会福祉協議会の人か?
でも、人違いということもあります。自分からは、話しかけませんでした。
私はルームランナーの後ろのエアロバイクをこいでいます。
ルームランナ─を終えたその男性は、私を見つけ近寄ってくるではないですか。
相手が覚えていて自分が覚えていないのは、大変失礼です。
「たまくん太陽さんじゃないですか、私 ○○医療器会社のAです。」
そっかあ、古巣の医療器会社の社員だったのか。そういえば、一回だけ、副鼻腔炎のことで話したことがあります。記憶が蘇りました。
私は、前の前の職場に、時折訪問します。いまだ、同僚の人が働いているので、その人とちょこっと話すために行きます。
「もう辞めたんだから、職場でなくて、別の所で話せ!」と思う人もおるかもしれんけど、医療器会社のその前の職場にも、時折出没します。あえて、電話や外の場所で話すほどの関係でもないし。
なんであの会社を辞めたんだろう。
40歳過ぎで辞めたのは、NPO法人で、重度障がい者の支援事業所を起業するという目的でした。しかし、仕事の終わりの市民活動と仕事の両立に、もはや、疲弊していたからだったと思います。
自動車で4時間ばかりかけての出張が毎月ありましたが、出張の翌日から1週間、黒い顔をしていました。(血流がものすごく悪くて)
心筋梗塞のカテーテル検査で、今回の梗塞とは別に、冠状動脈の末端に古い心筋梗塞があるということがわかりましたが、もしかすると、この頃だったのかもしれません。
四国から帰ってこられるようですよ。
その社員の人と、現在の会社の話をいろいろしました。自分が居た頃は、営業所員4名でしたが、今は8名で仕事を回しています。自分が居た頃、夜まで働いていたので、ブラックだったと思います。
「Bさん、四国からようやく帰って来られるようですよ。」
「長かったね。」
B君も元同僚です。男性社員は、栄転にしろ、左遷にしろ、ホイホイ転勤させられます。
自分にも転勤の話がありました。しかし、当時、地域で住む重度障がい者の夕食づくりなどしていたんで断りました。(所長職をするのがめんどくさくて嫌だという気持ちもありました。)
そんなんで、だんだんと会社に居場所がなくなりつつもあったかもです。
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