戦略なきボランティア活動またサイト作り

今日はまだしも首の調子が良い(全く痛くない日はない)方なので、スポーツ施設で運動をしました。思い返すと、そもそも頚椎症になったのは、20代から首に負担のかかる介護(無償ボランティア)をやり続けていたということにつきます。

私がやっていた介護というのは、お年寄りの介護ではなくて、重度障がい者の介護です。旅行の介護だとか、バリアフルではないので、人を抱えてタラップを上がるとか、電車の座席まで移動するとか茶飯事でした。

そもそもが、日常生活の介護者を集める活動

昨日の昔の知人の電話であれこれ過去のことを思い出した次第ですが、その知人は、私が施設の障がい者の人たちとつくったボランティア活動団体に入っていました。

その団体は、2ヶ月に1度、在宅の障がい者と施設の障がい者(多い時で10人ぐらい)とイベントをするという活動を主にやっていました。イベントをやって、障がい者と人間関係ができれば、障がい者の日常介護や外出介護のボランティアをしてくれる人間になるかなあというおおざっぱな考えでやっていました。

当時、自分は在宅の障がい者の方の週何回か夕方の夕食づくりと外出介護をしていました。当時はヘルパーが週2回、1回2時間が最高というような有様でした。入浴介護は、保健婦が随伴しないとやってはいけないと言われ、入浴介護さえ社協に断られました。(民間のヘルパー事業は皆無の時代)

そういう状況ですので、他はボランティアでなんとかしないとなりません。イベントをすることでそういう人材を発掘できるかと思ったのですが、そういうことには何一つ結びつきませんでした。

戦略と言うか、そういうことを煮詰めて統制していけば良かったんですが、結局イベントには毎回大勢集まった割には、何一つ成果がありませんでした。

サイトも戦略を持ってやらないと徒労に終わる

ボランティア団体で、そういう人材が集まらず、それも理由の一つですが、在宅の障がい者の方は、重度化して結局施設に入ってしまわれました。

たいへん後味の悪い終わり方です。

40代の時、やっぱりプロの人間じゃないと介護はできないと思い、医療器会社を辞めて事業所を造ることになりますが、戦略をもってやらないと努力がムダに終わるのだと思います。

サイトも一生懸命書けば、いつかは花が咲くというものではないということを、この5年間身に染みたところですが、それでも、どうすれば花咲くサイトが作れるか真剣に考えているかと言われると、反省しかありません。(このブログの事ではありません。)

また同じ過ちをこれ以上繰り返さないためにも、理性的に考えていきたいものです。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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