夕べ、故人の方が夢に現れました。ネットのツールを教えてもらうという他愛のない夢です。まだ生きておられるのではないかと、その時、夢の中で思ってしまいました。

自分が障がい者の運動を始めたきっかけは、障がいがあるから気の毒だとか思ったからではありません。障がい者の置かれた状況が、みじめだと思ったからです。
家族しか外出介護できない時代もあった
自分が、障がい者の運動を始めた頃は、障がい者の施設では、稟議書で許可をもらわないと外出できませんでした。当時は介護員や支援員ではなく、指導員という名称でした。重度の障害でも、人に頼まず自分でするように指導するわけです。だから、指導員です。
だから、トイレや服を着るのに30分ぐらいかけて自分でするのが当たり前でした。
指導員長、看護師・・・と何個もハンコをもらって、初めて外出できました。人によっては、家族が介護でないと認められませんでした。
自分もわざわざ家族の人に、本人の迎えを頼んで、玄関で代わって介護をしたことあります。そもそも、家族が介護できなくて、施設の入所が決まったわけであって、家族に外出介護する力はありません。
ある時、改革派の施設長が赴任して来られて、そういう許可の手続きは無くなり、いつ何時、介護者がだれでも出てもよくなりました。
ただ、コロナ禍以降、どうなったか知りません。私の知り合いが、老人ホームに入居したものの、家族も面会禁止(コロナ禍が明けても)のため、老人ホームを出てしまいました。
外出しても、入店お断り
今はノンステップバスがあり、車椅子の人でも一人で乗れますが、当時は、乗客の人に頼んで、バスに乗りましたが、バスの運転手に拒否されることもありました。
喫茶店でもなかなか入れる店がなかったです。
単に段差があるだけではなくて、「うちはそういうのしてないから」みたいな態度でした。40年間のうちに、今は、そういうのは無くなりました。
20年前、銭湯に行ったとき、そこの支配人に「障がい者はデイサービスに行くべき」と言われて、拒否されました。そこの銭湯は、バリアフリーを売り物にしているのになぜと思いましたが、話し合いしてもいっしょでした。
制度や環境は変わっても、人の気持ちはさほど変わってないのでは
病院を経由して障がい者になった方は、あまり病院のことを良く言わない人もいます。病気や障害以外のことで、あれこれ「指導」されるからではないかと、自分は思ったりします。
──私が前にいた介護職場で、ヘルパーの感情的な「指導」の言葉かけが、パワハラ認定されました。
自分も、入院をするようになって、なぜ家族が同伴しないのか、なんで家族が同意書に書かないのか・・・かけつける家族がいないことで、なぜああも、言われるのか、みじめな気持ちになります。
実際は苦情処理係で確認すると、現在の病院では、必要もないことがはっきりしているのに、事務員さんや看護師さんが、私が違うと指摘すると、鬼のような顔つきになります。
昨今、カスハラが叫ばれているので、怒って反論したいところですが、怒ると私がカスハラ認定されてしまいます。ただ冷静に苦情処理係で提言することです。
入院する度に、「おひとりさまのみじめさ」を味わうのです。今は、病院での静かな闘いです。パンフレットに載っている「患者の人権」なんのそのです。せめて、言葉遣いだけは、上から「指導」するような言い方はやめてほしいです。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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