この前、殺人の夢を見ました。夢の内容が恐ろしすぎて目が覚めました。まだ5時過ぎです。
そんな夢を見たのはなぜ?
夢ですので、つじつまが合わないところがあります。
ATMに包丁が登場。ギョギョッと思ったら、場面が変わって舞台は自宅です。「キャリアコンサルティング」の先生が来ておられて、その時押し入れから、死体がどどーと落ちてきました。
先生なんで、死体に気づかんのかな。バレても仕方ない。取り繕うことも不可能。
そんな夢でした。死体は誰なのかな?それと殺人を犯したのはだれなのでしょうか。もしかしたら、自分が自分を殺した夢だったのかしら。
なんでそんな夢を見たのかは見当がつきます。夢を見た前日、教育訓練校では、「自分を見つめる」というのが一日のテーマでした。朝から、自分の興味や関心のテストとか、仕事の能力・特性の自己評価とかの作業で、とどのつまりが、自分の若いころからの職歴を尋ねられながらの「キャリアコンサルティング」で、先生に「なぜその時仕事を辞めたんですか?」との矢継ぎばやの質問。
あらいざらい言いました。もうなんかプライバシーもくそもどうでもよくなってきました。惨めだったこと、パワハラで自分の能力に自信喪失、そして、今度は心筋梗塞で体力までも自身喪失、現在に至る。65歳だけれど、いまこそ変えたい、そういう気持ちです。
そんなことを自分は話していました。
「殺人の夢」の解釈
インターネットで、殺人の夢の解釈を見たら、いろいろなことが書いてありますが、いちがいに悪い夢ではないようです。
バレてもいいという態度だったから、自分をさらけだしてでも運命を変えたいということなのかもしれません。自己を見つめるという作業は、不幸な人にとっては、大変つらいものです。
不幸の原因は、他人のせいと考えてしまえばいいのかもしれませんが、運命を変えれなかったのは自分のせいです。
節目節目で、仕事を変えていたわけだから、問題は変え方なのでしょう。苦渋に耐えてきましたが、やりたいことをやるために苦渋に耐えてきたのはいいけれど、運命を変えるのが恐ろしくて、蛇ににらまれたカエル状態が10年近く続いたのがダメでした。
キャリアコンサルティングで、先生に「波乱万丈ですね。」と言われました。
そうなのか。自分の人生は波乱万丈なのか、そのように見えるのかと気づきました。
自分の特性の肯定的評価
自分のいいところと悪いところがある、そんなにスパッと分けて考えれるもんではないです。穏やかにやさしそうに見える→いじめてもいい存在に見える、弱弱しい。
このように両面あるわけです。いいも悪いもないのが現実なので、そんなに悪い風に見る必要もないです。今一度、肯定的に全部見直せば良いです。
さて、一日「自分を見つめる」作業をした感じでは、今の自分は、①穏やかな人間関係の職場を望む②社会貢献というよりも、個人的な生活を望む③一人でする創造的な仕事に向いているという傾向があるようです。
もっといろんな仕事ができるとの潜在意識と、ここ10年で体力と精神に自信喪失しまったギャップがあることはわかっていますが、そこをどう埋めていくかということが日々の闘いです。
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